ロシア(上)

ウクライナの速さ、グルジアの足技、ロシアの創造性…。
1991年の旧ソ連崩壊で15共和国が独立し、民族の特性を融合させていたソ連サッカーの伝統は分散した。
「これまで成功を収めたのはソ連。
ロシアは全く別のチームだ」。
スポーツ大国の再建を託された48歳のロマンツェフ監督が求めたのは、新しいスタイルの構築だった。
民主化以降の混乱で国民の愛国心は揺らいだ。
それは選手も例外ではない。
国を挙げたスポーツの育成システムも財政的に大打撃を受けた。
苦悩の末、指揮官が導き出したのは「スパルタク・ファミリー」の形成である。
代表の骨格を支えるのはソ連時代に「労働組合」のチームだった国内最大の人気クラブ、スパルタク・モスクワの新旧選手たち。
ロマンツェフ監督は89年からここで指揮し、会長も兼任。
92年に始まったロシア・リーグでは10年間で9度優勝した。
ワールドカップ(W杯)出場32チーム中、クラブと代表監督を兼務するただ一人の指揮官だ。
70年代オランダの「トータル・フットボール」を理想とし、丁寧に細かくパスをつなぐ伝統のスタイル。
スパルタクのユース出身で司令塔に成長したチトフは「一貫した戦術が鉄の結束を生む」と言う。
カルピンは「国家代表というより、監督を長にした家族の雰囲気」と笑顔で話した。
ただ、スパルタク流のサッカーは国民性に適していないとの批判もある。
「ロシア人は狩猟に出かけても、銃を持って飲み明かす民族。
変なち密さは捨てて、力強さで勝負した方がいい」と、60年代の黄金期を支えた元ソ連代表FWイワノフ氏(67)は注文を付ける。
それでも「スパルタクの伝統がロシアの伝統になる」と代表チームのラボフ報道官。
W杯はロシア・サッカーの将来を懸けた勝負の場となる。

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