06/04 21:38

今季のうっぷんを晴らすような、ダイナミックな突破と強烈シュートだった。
イングランド・プレミアリーグの強豪アーセナルに移籍したものの出番に恵まれなかった稲本が、一時は2-1と逆転する豪快なシュート。
「欧州組にはINAMOTOもいるぞ」と世界に知らしめた。
後半22分だった。
稲本は中盤左で相手ボールに足を出し、左の柳沢に渡ったのを見ると、すかさず前線へダッシュ。
リターンパスを受けると、屈強なベルギーDFを弾き飛ばすようにかわしてドリブルで突進し、ゴール左から左足でずばりとけり込んだ。
これが代表2得点目。
人さし指を突き上げ、ベンチに駆け寄ると、ベテラン秋田に真っ先に抱きついた。
トルシエ・ジャパンが、先制された16試合で逆転したのは過去1試合のみ。
場内のボルテージは最高潮に達し、耳をつんざく「ニッポン」「イナモト」コールがこだました。
外国勢相手でも「フィジカルには自信がある」。
その真骨頂を存分に発揮した突破とシュートだった。
「思い切りけって、枠に飛んだのが良かった」と満面の笑みを浮かべ「イングランドでやってきたことが、間違いでなかったと証明できた」と胸を張った。
中学1年生から、JリーグG大阪の下部組織でプロを目指し、単調な反復練習にも懸命に取り組んだ。
U-17(17歳以下)世界選手権に初めてアジア王者として出場し、1999年の世界ユース(20歳以下)選手権では準優勝。
2000年2月に代表デビューを果たし、シドニー五輪でもベスト8に入った。
それだけに、Jリーグという環境に飽きたらず、海外移籍の希望を膨らませていった。
21歳の昨年夏、Jリーグ名古屋のベンゲル元監督が指揮を執るアーセナルから、願ってもない移籍のオファーが飛び込み、サッカーの母国に渡った。
もっとも、なかなか公式戦に出場できず、試合勘の衰えという悩ましい課題にも直面していた。
この日の前半は、そんなマイナスも感じられる判断の遅れやミスパスなどが目立ったが、後半はまさに絶好調時のプレーが復活した。
「目立とうと思って」髪を銀色に脱色したのはW杯にかける決意の表れ。
「世界の人に見てもらえる一番のチャンス」という夢舞台で、181センチ、75キロの引き締まった体を存分に躍動させ、日本のW杯初勝ち点獲得に貢献した。

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