06/09 22:32

日本代表の躍進は小野(フェイエノールト)や稲本(アーセナル)らに代表される「黄金世代」の活躍に象徴される。
1999年世界ユース(20歳以下)選手権で準優勝。
トルシエ監督が「息子たち」と呼び、W杯代表の中核となった彼らの成長は、2002年W杯に向けた日本協会のユース強化策と、Jリーグの創設が土台から生まれた。
93年はJリーグが開幕し、日本協会も02年W杯の招致活動を本格化させていた。
当時の川淵三郎強化委員長(現Jリーグ・チェアマン)は「アジアで負けるな」とユース強化に資金面から積極的にバックアップ。
技術の習得は10代前半までが勝負。
若手育成の柱は、この時期に進められた年代別の「トレーニングセンター制度」の改革にあった。
全国の各地域で強化の一貫した方向性を示し、協会からコーチを派遣。
地域から中央へのピラミッド構造を確立し、各年代ごとに世界基準の一貫指導を徹底させた。
小野や稲本らの世代は幅広い視野を確保する直立した姿勢でプレーでき、中学時代からメンタルトレーニングで精神力も鍛えられてきた。
そんな環境下で「黄金世代」の少年たちは技を磨いた。
94年のアジア・ジュニアユース選手権は「ドーハの悲劇」の舞台となった試合会場で逆転勝ちを重ね、初優勝を果たした。
予選を勝ち抜いてU-17世界選手権(エクアドル)の出場権を得たのは史上初だった。
稲本らは高校のサッカー部でなく、Jリーグのクラブで育った。
一つ上の世代となる中田英(パルマ)らも加わった00年シドニー五輪はベスト8。
W杯でトルシエ監督が決断したのは、若年層から世界を体感した「Jリーグ世代」を柱に据えることだった。
彼らにとってW杯初勝利は決して驚きではない。

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