08/04 13:20
163センチ、52キロの小柄な体で奮闘した油谷だが、30キロ付近で力尽きた。
順調な調整に「楽しみ半分、不安半分」と話していた24歳は5位。
メダルには届かなかった。
前半は集団の前方に位置し、冷静にレースの推移を見極めた。
22キロ地点から続く急な下り坂をうまく乗り切り、ホーリラック公園内のコースで集団がばらけた際に日本勢でただ1人、生き残った。
26キロ地点以降の上り坂で一度離されたが、また追いつく。
だがその粘りは最後までは続かなかった。
山口県長門市生まれ。
美祢工高時代には3年の時にインターハイに出場。
1995年に中国電力に入り、日本最高記録を持つ藤田とは同期生に当たる。
藤田が駒大時代に箱根駅伝のスターとなり、マラソンでもエース的存在に成長したのとは対照的に、これまでスポットライトが当たることはほとんどなかった。
「後半足にきて離された。
あそこまでいったらメダルを取りたかった」と残念がった。
記事一覧