チームへの貢献を優先
日本のリーダー中田英

2001年6月、コンフェデレーションズ・カップでフランスとの決勝を欠場し、イタリア1部リーグ(セリエA)で優勝間近のローマに戻ってから、もうすぐ1年になる。W杯へ向け、25歳のMF中田英寿(パルマ)は自分なりのプライドを保ちながら、チームに貢献しようとしている。
日本選手として初めてセリエAの優勝メンバーとなった中田英は、多くの出場機会を求めてパルマへ移籍した。トルシエ監督とのわだかまりを残したまま迎えた新シーズン。中田英はパルマ不振の責任を負わされた。パサレラ監督の構想から外され、「一番辛かった時期」を過ごした。
1998年W杯フランス大会後にイタリアへ渡り、「欧州で最も有名になった日本選手」が挫折を味わった。代表チーム関係者によると、昨季までと振る舞いが変わったという。トルシエ監督と「相いれない部分」を゙封印"し、グラウンドでのコンビネーションに腐心する姿勢が見られる。
「チームの連係をうまく高められれば」との思いで臨んだ3月27日のポーランド戦。こぼれ球に反応した先制点と、周囲の選手に指示を出す姿に、中心選手として動こうとする存在感があった。
トルシエ監督は中田英について「いろんな批判に耐え、素晴らしい勝利者として壁を乗り越えた。中山、秋田と3人で何とかチームを引っ張ってもらいたい」と話し、リーダーの役割を求めた。(中居)

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