突然の病気にも焦りなし、闘争心かき立てる西沢

もともと気持ちが前面に出てくるタイプではなかった。4年前のW杯フランス大会は、事前合宿で岡田前監督から練習態度などに疑問を持たれ、事実上の強制送還を言い渡された。だが、25歳のFW西沢明訓(C大阪)は2度の海外移籍を経て確実に変ぼうした。
「日本代表に入ることがすべてだと思わない」とクールに構えていた時期も今は昔。スペインのエスパニョール、イングランドのボルトンで出番に恵まれず、欧州で2シーズン沈黙した分、練習の中から闘争心をかき立てる必要性を感じ始めている。「目で見て肌で感じた体験は言葉で表現できない。プロ選手としては周りに自分の色を示すことも大事なんだな」と。
懐の深いポストプレーは代表のFW陣で最も洗練されている。静岡・清水東高時代は2列目でゲームメークもこなす器用なFWだっただけに、シュートを点で合わせるダイビングヘッドやボレーは得意技だ。
親友の中田英(パルマ)と同じ1997年5月の日韓戦で代表デビュー。2000年6月、ハッサン2世杯のフランス戦で決めた伝説の右足ジャンピングボレーシュートは海外移籍の扉をこじ開けるゴールだった。
5月のスペイン遠征中、急性虫垂炎で緊急手術。しかし、突然のリタイアにも焦りはない。驚異的な回復力で既に軽いパス練習などを始めており、29日からチーム練習に合流できる予定だ。「W杯? テンションは上がっている」。「柔」と「剛」を併せ持つストライカーは闘争心で世界を見返すつもりだ。

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