フィーゴ(ポルトガル)
黄金世代の頂点 サッカーの魅力を体現

観客席から投げ込まれた空のペットボトルに手製の100億ペセタ(当時約62億円)札。あらしのような罵声(ばせい)。2000年10月21日のスペイン1部リーグ、バルセロナの本拠地に乗り込んだ宿敵レアル・マドリードの背番号「10」は、古巣のファンから敵意と憎悪を一身に浴びた。
ポルトガル代表のルイス・フィーゴ。100億ペセタとは、この年7月にバルセロナから移籍した時の、当時世界最高額を記録した巨額移籍金だった。
▽裏切り者?
フランコ独裁政権下で弾圧された時代から首都マドリードに強い反感を抱くバルセロナの人々にとって、主力選手のこの移籍は、裏切りに映った。しかも年俸は日本円に換算して当時約5億円と倍増し「金で魂を売った」と批判された。
本人は「移籍の理由はいつか話す時が来る」と口を閉ざしているが、バルセロナではリーグ連覇などに貢献しながら、リバウド(ブラジル)らに次ぐ扱いしか受けなかった。これが背景にあるとみられている。
翌01年6月、ごうごうたる批判をバネにRマドリードを4年ぶりのリーグ制覇に導き、ついに代表とクラブの双方で主役の座に就いた。この年、国際サッカー連盟(FIFA)最優秀選手賞も受賞した。
▽心理面も秀でる
リスボンの隣町、労働者の町アルマダで、つましい生活を送っていた食料品店主の一人息子として生まれた。フィーゴ少年の楽しみは、もちろんサッカー。当時のポルトガルは低迷期で、初めてW杯をテレビで見た1982年スペイン大会は予選で敗退していた。「だから(旧植民地で)関係の深いブラジルを応援していたよ」
12歳で首都の古豪スポルティングにスカウトされた。当時のジュニア選手担当者は「小柄でやせていたが、特に心理面がすぐれていた。いつも落ち着いて、集中していた」と回想する。一軍デビューは16歳で早くも才能の片りんを示した。
91年には世界ユース(20歳以下)選手権に出場して優勝した。この年、19歳の誕生日を前に代表デビューも果たしている。 真の国際的名声を確立したのは比較的遅く、2000年の欧州選手権。通算1得点4アシストの大活躍でポルトガルを4強に導き、同年の欧州年間最優秀選手にも輝いた。フィーゴやルイコスタら「黄金世代」と呼ばれた世界ユース連覇メンバーが円熟期に達し、迎えたのが今回のW杯だ。
▽1対1の勝負
ボールを持つと独特のフェイントで相手DFのバランスを崩し、猫背気味の体は急加速して一気に振り切る。正確無比のセンタリングに、中央へ切り込んでの強烈なミドルシュート。
「僕はフィールドに入ると攻撃的な性格になる」と言うように、常に1対1の勝負を仕掛けてゴールに絡む。そんなサッカーの魅力を体現してきた。
代表では、W杯欧州予選通算5得点で、4大会ぶりの本大会進出の原動力となった。今がキャリアの頂点にある黒髪の29歳は、恐らく最初で最後のW杯に満を持して臨む。(共同=名取裕樹)

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