06/04 20:47
ゴール前にこぼれたボールに挑みかかった。
思いっきり伸ばした右足に、わずかな感触が残った。
起死回生の同点ゴール。
鈴木隆行選手(26)は、オオカミのようにほえていた。
声にならない声で叫びながら、ベンチに駆け寄り、中山雅史選手(34)に飛び付いた。
苦労続きのサッカー人生だった。
試合に出られない期間のほうが長かった。
前年にJリーグ優勝を果たし、所属する鹿島アントラーズが最強時代を迎えた1997年。
遠い異国のピッチにいた。
出番に恵まれずフロントに直訴して、ブラジルの地方リーグに武者修行に出ていた。
芝は荒れ放題、シャワーは水だけ。
はい上がろうと必死にボールを追うプロ予備軍の選手たち。
汚れた寮に暮らし、サッカーだけをする生活。
「おれは恵まれてる」。
日本では味わえないハングリーさを痛感した。
「好きなサッカー、とことんまでやろう」と自らを奮い立たせた。
「ボールと敵に挑むファイティングスピリットは一級品だ。
彼の活躍がチームを(3部から)2部に引き上げた」。
当時のコーチ、ジャイメ・フィーニョさん(49)は、FWとしての嗅覚を認めていた。
2度のブラジル修業、さらには2度のレンタル移籍を経て2000年秋、鹿島に戻った。
「必死さが体全体からあふれていた。
ひたすらボールを追いかけ、相手にぶつかっていった」と鹿島強化部長の鈴木満さん(44)。
ブラジルでつかんだどん欲さが、ゴールという果実につながっていく。
昨年6月、コンフェデレーションズカップのカメルーン戦。
国際Aマッチでいきなり2ゴールの鮮烈デビュー。
1年後、W杯の大舞台で日本の初得点を決めた。
茨城・日立工高では不言実行タイプの主将。
ユース代表に選ばれ、そこで学んだ練習方法や食事管理などをチームに持ち帰り、同級生や後輩たちにどんどん伝えた。
無口だが、面倒見のいい男だった。
「荒削りだがパワフル、身体能力も高い」と地元鹿島のスカウトの目に止まった。
「でも大成するかどうか、最後はハート。
鈴木にはそれがあった。
取って(スカウトして)良かった。
あの子の人生にとっても、これで良かったんだと思う」。
代表チームでの活躍を見守る鹿島スカウト部長の平野勝哉さん(59)は、感慨深げに言った。
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