06/04 23:09
日本が、ワールドカップ(W杯)予選に初めて挑戦したのが1954年。
ほぼ半世紀の歳月を経て、W杯の記録ブックに「勝ち点1」を刻んだ。
前回フランス大会での3戦全敗、「勝ち点0」から4年。
フランス人のトルシエ監督が、若い選手たちに植え付けた「闘う姿勢」が、逆境で力となった。
先制点を許した後の怒とうの攻め。
価値ある引き分けだった。
「歴史的な勝ち点に満足している」。
興奮のるつぼの中でタイムアップを迎えたトルシエ監督は、最低限の目標達成を喜んだ。
「リードを守り切れなかったことには不満がある」と言いながらも、後半12分に先行された後の選手たちの反発力がうれしかった。
失点からわずか2分後だった。
突進した鈴木隆行が精いっぱい差し出した右足がボールを捕らえ、GKデブリーヘルの脇の下を抜けてネットへ転がった。
同点弾。
後半22分には「トルシエの申し子」の代表でもある稲本潤一が、個人技で勝ち越しのゴールを奪った。
「赤い悪魔」と呼ばれるベルギーは強かった。
大型選手のプレスは厳しく、ハイボールの競り合いではかなわなかった。
そんな相手に先行されても、日本はひるまなかった。
98年の就任当時、トルシエ監督は、ひ弱だった日本選手にがくぜんとした。
自己主張しない若者に怒りさえ感じた。
「プロ意識のない選手は、代表の資格がない」「どうして自分に向かってこない」練習では選手のシャツを引っ張り、怒鳴り倒すことの連続。
「白い呪術師(じゅじゅつし)」と言われた戦略家が、日本ではいつしか「赤鬼」と呼ばれた。
快適、便利な社会でぬくぬくと育った日本選手を「コンビニ文化が日本の若者をだめにする」と評したこともある。
アジアの枠から抜け出そうと、選手たちはもがいた。
「監督の平手打ちが代表への登竜門」という試練も乗り越えて、選手たちはたくましさを身に付けた。
昨年3月のフランス戦。
敵地で0|5と大敗し、8万人の大観衆の前で、屈辱を味わった。
これを機に日本は、強豪を相手にするときの激しい当たり、駆け引きも体で学んだ。
選手の成長を感じ取ったトルシエ監督が「赤鬼」に変身する場面は今年、ほとんどない。
欧州のトップクラブに進出した選手たちは、本場の厳しさを代表チームに持ち込んだ。
先駆者である中田英寿は、ベルギー戦でも「闘志」を前面に押し出して、同僚を鼓舞した。
「点を取られてもみんなが下を向かないように。
すぐに動き出さないといけない」と中田英。
リードされた後、日本選手の意志は反攻姿勢に統一された。
「2-2はチームにとって悪くない。
前回(フランス大会)は3試合で1点しか取っていない。
そういう意味ではいい発進ができた」と中田英。
目標の1次リーグ突破、ベスト16進出に向けて、トルシエ日本は残り2試合にも「闘う姿勢」で挑む。
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