06/09 22:35
やんちゃ坊主がまた決めた。
ロシア戦で先制点をたたき込んだ稲本潤一選手(22)は、得意そうな表情でスタンドを見上げ、こぶしを握りしめた。
ベルギー戦に続くゴール。
一躍、日本チームのラッキーボーイになった。
6歳でサッカーを始めた。
小学6年でJリーグ・ガンバ大阪のジュニアユースに入団。
中学、高校とも学校のサッカー部には所属せず、クラブの一貫指導で育成された“サラブレッド"だ。
自宅のある大阪府堺市から吹田市のグラウンドまで、毎日往復4時間かけて練習に通った。
視野の広さ、キック力。
大柄な体格も含め、サッカー選手としての資質を早くから見いだされた。
「いかにも負けん気が強そうな子。
体が大きいのに、ボールコントロールに非凡なものがあった」と、国体大阪選抜チームの監督だった悦勝公豪さん(48)。
15歳のころからは代表チームで何度も海外遠征に出かけ、外国チームとの対戦を経験した。
帰ってくるたびに「世界はすごい。
おれもがんばる」と刺激を受けた。
ガンバ大阪の育成普及部長、上野山信行さん(45)は「目標設定が高かった。
『これでいいや』ではなく『もっともっと』とどん欲だった」と振り返る。
どんどんサッカーがうまくなった。
高校3年でトップチームに引き上げられ、当時の最年少記録でJリーグにデビュー。
17歳以下日本代表の監督だった松田保さん(54)は「相手が強いほど燃えるタイプ。
チームが苦しい時、頼りになる男だった」。
昨年、英国プレミアリーグのアーセナルに移籍。
出場機会に恵まれなかったが、腐ることはなかった。
小野伸二、中田浩二両選手らと同年齢の「ユース世代」。
トルシエ監督が育てた新世代が、最高の舞台で真価を見せつけた。
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