06/10 01:22

童顔のやんちゃ坊主が決めた。
歴史的勝利となったロシア戦で、決勝点をたたき込んだ稲本潤一選手(22)。
得意げにスタンドを見上げ、拳を握りしめた。
ベルギー戦に続くゴール。
試合終了を告げる歓喜のホイッスルが響くと、ベンチ前で選手やコーチたちから三重、四重に抱きつかれ、頭をなでられた。
丸い顔が喜びではじけた。
6歳でサッカーを始め、小学6年でJリーグ・ガンバ大阪のジュニアユースに入団。
中学、高校とも学校のサッカー部には所属せず、クラブの一貫指導で育った“サラブレッド"だ。
自宅のある大阪府堺市から吹田市のグラウンドまで、毎日往復4時間かけて練習に通った。
視野の広さ、キック力。
大柄な体格も含め、サッカー選手としての資質を早くから見いだされた。
「いかにも負けん気が強そうな子。
体が大きいのに、ボールコントロールに非凡なものがあった」と、国体大阪選抜チームの監督だった悦勝公豪さん(48)。
「いたずら好きでやんちゃ」。
当時を知る大人たちは皆、そんなイメージを受けた。
だがサッカーに関しては強い意志があった。
15歳のころから代表チームで何度も出かけた海外遠征。
帰ってくる度に「世界はすごい。
おれも頑張る」と刺激を受けた。
ガンバ大阪の育成普及部長、上野山信行さん(45)は「目標設定が高かった。
『これでいいや』ではなく『もっともっと』とどん欲だった」と振り返る。
どんどんサッカーがうまくなった。
高校3年でトップチームに引き上げられ、当時の最年少記録でJリーグにデビュー。
17歳以下の日本代表監督だった松田保さん(54)は「相手が強いほど燃えるタイプ。
チームが苦しい時、頼りになる男だった」「自分を追い詰めてみたい」と昨年、英国プレミアリーグのアーセナルに移籍。
昨シーズンは出場機会には恵まれなかったが、「苦しい経験はきっとプラスになる」と前向きだった。
1999年の世界ユース選手権で準優勝した小野伸二、中田浩二両選手らと同年齢の「黄金世代」。
若い力が最高の舞台で真価を見せつけた。

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