06/14 20:07
心配された油断も慢心もなかった。
日本は、まさに会心と呼べる内容で、決勝トーナメント進出の快挙を成し遂げた。
交代選手が活躍して2得点。
事前に与えたチュニジア情報を消化しての安定した守り。
トルシエ監督の表情に、充実感と満足感が浮かんだ。
蒸し暑さでむせ返る大阪の曇り空。
ジャブの応酬のような前半を打開すべくトルシエ監督が動いた。
柳沢から森島、稲本から市川。
攻撃的な「切り札」(同監督)のカードを2枚使い、日本の持ち味である積極的な戦いを加速させた。
森島の先制点は後半の笛から、わずかに3分後だった。
さらに、積極的なさい配がH組1位を確実にする2点目を生む。
右からの市川のクロスは中田英の頭に合った。
「2点目で、試合を締めるという点で、自分個人の得点よりうれしかった」。
献身的な役割に徹した中田英のセリフが心憎い。
2-0。
完ぺきなW杯2勝目だった。
「一生懸命やった4年間のおかげでもたらされた勝利だ。
われわれはすごく、すごく幸せだ」。
トルシエ監督は選手を絶賛した。
裏には、チームを最もよく知るベンチの確かな目がある。
H組首位とはいえ、2点差の負けは敗戦となる分かれ目の一戦。
選手はトルシエ監督自らが身をもって植え付けた組織戦術、戦いのすべを彼らなりに消化し、発展させた。
監督は自信を持って、日本の積極性を促す選手交代をした。
絶妙なさい配だった。
暑さの中で展開を落ち着けた前半。
前半は3試合を通して無失点。
試合をあえて動かさずに持ちこたえ、相手の動きが止まる後半に勝負を懸ける。
相手を綿密に分析し、選手に与えた情報にもぶれはなかった。
「23人にレギュラーはいない」。
後半の攻撃は全員が試合への準備をした結果でもある。
日本の組織力が積極的に試合を動かし、トルシエ監督の狙いの集大成といえる、魅惑の攻めが次々に展開された。
1998年10月28日。
同じスタジアムでのエジプト戦で「トルシエ・ジャパン」が産声を上げた。
以来3年8カ月。
幾多の障壁を乗り越え、一つの完成形がこの大会で具現化された。
1次リーグ突破という開催国としての使命は果たした。
18日のトルコ戦からはすべてが一発勝負。
トルシエ監督は「われわれは力強さを生み出している。
大きな自信を持ってこの先に向かう」と、新たな野心を前面に押し出した。
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