06/14 21:18

▽あの悲劇があったから▽歴史刻んだ人々ピッチを特別な思いで見つめる男たちがいた。
W杯決勝トーナメント進出を決めた14日の長居陸上競技場。
「大日本蹴球協会」の設立から81年、W杯予選初出場から48年。
「日本サッカーの父」と呼ばれるドイツ人の元コーチ。
「ドーハの悲劇」に泣いたイレブン。
初の五輪メダルを手にした元代表。
歴史を刻んできた人々は、やがて始まる新たなステージに思いをはせた。
デットマール・クラマーさん(77)。
1960年に招聘(しょうへい)され、技術と理論を教え込んだ。
68年のメキシコ五輪銅メダルに導いた伝説のコーチだ。
青で埋まったスタジアムに「最高の気分」。
日本代表の戦いぶりを「10代の若者のようにすごいスピードで進化している。
40年前とは態度も話し方も違う。
髪形もね」とジョークを交えてたたえた。
「これからが本当のW杯。
今の代表に釜本(邦茂)がいたら、準決勝まで行けるよ」クラマーさんの指導を受けた東京、メキシコ五輪代表の杉山隆一さん(60)もスタンドに。
後半早々の1点に立ち上がって万歳した。
「(試合を見て)万歳なんかしたことないんだ。
回りにつられちゃった。
これがW杯なんでしょうね」「サイド攻撃が良かった。
サッカーの楽しみ、だいご味を感じた。
感動した」と満足そう。
W杯出場を逃した93年の「ドーハの悲劇」。
夢を打ち砕かれた試合でゴールを守った松永成立さん(39)は、京都市の自宅でテレビの前にいた。
「すばらしいとしか言いようがない」。
後輩たちの活躍をかみしめた後で、「僕たちはW杯に出られなかった。
だけど、あれで見直すべき点も分かり、世界に対しての目標がはっきりした」。
悲劇が快挙を生んだと思っている。
Jリーグ発足から日本サッカーを引っ張ったカズ・三浦知良選手(35)。
いつもと変わりなく神戸の練習に姿を見せた。
「積み重ねてきた結果。
日本サッカーのレベルは高いんだぞと思えてうれしい」。
そして「正直言って自分もピッチに立ちたかった。
寂しさはある」と無念をのぞかせた。

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