06/13 07:17
南アフリカは総得点の差でわずかに及ばず、1次リーグB組3位で敗退した。
しかしジョモ・ソノ監督は第2戦のスロベニア戦でW杯初勝利。
黒人監督が、黒人中心の代表チームを率いて、波乱の同国サッカー史に大きな足跡を残した。
南アフリカが初出場した前回フランス大会は、フランス人のトルシエ現日本代表監督が率いた。
今回の代表も、開幕3カ月前までポルトガル人のケイロス監督が指導していたが、本番を前にソノ監督が就任。
黒人サッカー指導者が初めて大舞台で指揮をとった。
同国がアパルトヘイト(人種隔離)政策をとっていた時代、黒人がサッカー選手として生きていくのは大変なことだった。
才能ある選手は主に米国のプロリーグに活躍の場を求めていた。
選手時代のソノ監督もその一人だった。
ニューヨーク・コスモスなどでプレーして帰国した83年、プロクラブ「ジョモ・コスモス」を設立。
まだ厳しい差別を受けていた黒人の若者にプレーや練習の機会を与えた。
南アフリカが約30年ぶりに国際サッカー連盟(FIFA)に復帰したのは92年。
同年、史上初めての人種混成チームを編成し、カメルーンと親善試合を行った。
カメルーンの名選手ロジェ・ミラは「わが兄弟の現状をみて涙が止まらなかった。
しかしアパルトヘイトの間も黒人がサッカーに取り組んでいたことがよく分かった」とソノ監督らの功績に感謝した。
カメルーンとの試合では、12人の黒人が入ったメンバーは発表直前まで“極秘事項"だった。
それが今回のW杯代表チームは黒人選手が大勢を占めた。
12日のスペイン戦で惜敗した後、ソノ監督は「2006年大会(ドイツ)はアフリカのW杯になる。
われわれも必ず戻ってきてもっと上を目指す」と誓った。
(大田、共同)
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