06/17 16:11

トルコ最大の都市イスタンブールから約3時間。
船とバス、タクシーを乗り継いでたどり着いた同国西部サカリヤ県アドリエ村で「ワールドカップ(W杯)で日本とトルコ、どちらが勝つと思うか」と尋ねると、木陰で茶をすすっていた数人の男はちょっと困った顔をして、こう言った。
「まあ、引き分けだな」。
決勝トーナメントに引き分けはないことを知っての答えだ。
必勝の願いを込めたトルコ国旗が翻り「トルコが絶対勝つ」と多くの市民が即答するイスタンブールとは対照的だ。
村の別名は「日本トルコ村」。
1999年8月17日、死者1万7000人以上を出したトルコ北西部大地震。
村には阪神大震災で使われた仮設住宅が移設され、ピーク時に約5000人、今も約3000人が身を寄せる。
路地は「東京通り」「神戸通り」などと名付けられ、子供たちがサッカーに興じていた。
移設の際に家々のドアに張られた日の丸は、やや色あせたが「本当に困っている人のところに足を運び、助けてくれた日本の人々を絶対に忘れない」という言葉を何度も聞いた。
アジアの東と西に位置する日本とトルコ。
「おれたちは大昔、一緒にアジアの真ん中にいた兄弟だ」という主張が出るくらい、トルコ人は日本に親近感を寄せてきた。
1890年9月、トルコ皇帝が日本との国交樹立のため派遣した軍艦が現在の和歌山県串本町沖で沈没。
地元住民が必死で生存者を救助、水死者の遺体を手厚く葬った「エルトゥール号遭難事件」は、トルコではあまりにも有名だ。
イラン・イラク戦争が激化した85年8月、テヘラン在住日本人脱出用の日本政府救援機が飛ばず、トルコ航空機が日本人を脱出させた。
95年前の海難救助の恩返しだった。
「本当はトルコに勝ってほしいのでは」と重ねて尋ねると、アフメド・ギュンギョルさん(60)が口を開いた。
「サッカーはゲームだから、勝ち負けなんてどうでもいい」。
自国だけに頼っては生きていけない、と身をもって体験した仮設住宅の村人からは、偏狭なナショナリズムを感じない。
18日の対戦は日本と親日国トルコとの「真剣な親善試合」でもある。
(トルコ西部アドリエ共同)
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