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アジアと欧州が交差する国トルコ。
オスマン帝国時代の19世紀後半、たばこや木綿を扱う英国商人によって、サッカーはこの地に伝来した。
100年以上の熟成の時を経て、ついにW杯の大舞台で芳香を放ち始めた。
記録によると、同国で最初の試合が行われたのは1875年。
当初は、在留していた英国人とギリシャ人がプレーしていたが、1901年10月にトルコ人チームが初めてギリシャ人チームと対戦。
05年には、伝統クラブのガラタサライが創設された。
第1次大戦の敗北もサッカーの発展に影響を及ぼした。
占領軍のチームとのゲームで勝つことが、国民的な取り組みとなり、サッカーに対する熱狂の素地が生まれた。
トルコ・サッカー協会も23年に誕生した。
地理的、民族的にはアジアとの結びつきが強いイスラム教国。
アジア側のアナトリア半島が国土の97%、国民の8割を占めるトルコ人もアジア系だ。
だが、政治的、経済的には欧州との関係が深い。
99年には欧州連合(EU)加盟候補国になり、職を求めて欧州へ渡る人も後を絶たない。
サッカーも欧州に軸足を置く。
54年にワールドカップ(W杯)初出場を果たした後、62年に欧州サッカー連盟(UEFA)に加盟。
90年代には優れた欧州の指導者たちも訪れ、同時にトルコ選手が欧州の強豪クラブで活躍することも珍しくなくなった。
また、ドイツには育成センターを設立。
各国に散らばる移民の中から若い才能を発掘し、年代別の養成に力を注いだ。
長らく国際大会で好結果を残せなかったが、2000年欧州選手権はベスト8、同年のUEFAカップではガラタサライが優勝。
ここ数年の躍進は目を見張るものがある。
セネガルとの準々決勝の際、首都アンカラのキジライ広場は約2万の人波で埋まった。
トルコのサッカー熱はいま、頂点に達している。

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