息子に託した父の夢 北京へつながる幻の五輪
父から息子へ夢の“剣"は託された。フェンシング男子フルーレの代表千田健太選手(23)の父健一さん(51)は、日本が出場をボイコットした1980年モスクワ五輪の「幻の代表」。28年の歳月を経て、親子の五輪が北京で実現する。
健一さんは80年当時、宇都宮市内の高校教諭だったが、栃木県教育委員会は代わりの臨時講師を雇ってくれ、茨城県での五輪強化合宿で練習に励んでいた。しかし突然、日本が不参加を表明。合宿は即解散となった。
「放心状態になった。心にポッカリ穴が開いた」と健一さん。職場に復帰しても仕事はない。机に向かい、新聞を読んでお茶を飲む空虚な日々が続いた。
「4年後の五輪を目指すか、古里の宮城県気仙沼市に戻って教員をするか」
選択を迫られた健一さんは悩みに悩んで帰郷し、23歳の若さで現役を引退した。
82年から女子高に赴任し、フェンシング部の指導も始めた。年のロサンゼルス五輪。代表に選ばれたのは健一さんの後輩たちだった。「力はおれの方があるのに、おれは高校生を相手にしているのか」。反感を覚え、それからは五輪を真正面から見られなくなった。
高校の道場では“鬼"と化した。妥協を許さない熱血監督は次々と全国優勝する。転勤した気仙沼高校では長男の健太選手も指導。道場では父ではなく「先生」と呼ばせた。
「父はマスクをかぶると人が変わる。ほかの生徒の手前、僕にはさらに厳しかった。何度も競技をやめようかなと思った」と健太選手。
4年前のアテネ五輪では、健一さんの教え子だった菅原智恵子選手(31)が初出場した。応援に駆け付けた健一さんは、初めて見る五輪会場に息をのんだ。「張り詰めた緊張感に驚いた。空気がまったく違った」。決勝戦は鳥肌が立った。「五輪に対して斜に構えていたけれど、心の踏ん切りがやっとついた」
「既におれのレベルを超えている。自信をもってやってこい」。五輪出場が決まった息子に対し、健一さんはもう険しい顔をすることはない。
健一さんが五輪代表だった証しは、日本オリンピック委員会の認定証1枚。書斎の壁に掛かっている。(北京、共同)
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