02/12 15:54
夢に見た五輪で滑った。
涙が出た。
「夢は必ず、かなうんだ」。
やっと言葉が出た。
リュージュ男子1人乗りで46位のヘナト・ミゾグチは、日系3世のブラジル人。
五輪を目指したのは、有名になって3歳の時に離ればなれとなり、現在まで音信不通の母に、自分の成長した姿を見せたかったからだ。
サンパウロ郊外で暮らしていた。
1994年、19歳で祖母のいる日本を訪ねる。
自動車工場で働きながら、96年から、インラインスケートに取り組んだ。
98年長野五輪出場を逃したブラジルのボブスレー代表に激励の手紙を出した。
しばらくして、同国連盟から「リュージュをやってみないか」と誘われ、99年から本格的に始めた。
祖母の故郷の長野に移り、仕事の合間にワールドカップ(W杯)に出場。
今季は、勤務先のホテルの支援も受け、W杯最終戦でようやく五輪切符を手にした。
母とは、父と離婚して以来、連絡すら取れない。
ブラジルではなじみの薄い競技の結果を、母がテレビか新聞で見るだろうか。
「五輪が終わったら、帰国してみようと思う」。
2006年トリノ五輪も狙う。
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