02/21 09:41

笑顔があった。
いつもの饒舌(じょうぜつ)な越がいた。
「すいません、金(メダル)取れなくて」。
報道陣にすまなそうに軽く頭を下げた。
54年ぶりに五輪で採用されたスケルトン。
37歳の日本の第一人者の、最初で最後の「オヤジの夢」が、降り続く雪の中で始まり、そして終わった。
今季開幕前、長野市の初合宿で「金メダルを取りにいきます」と宣言した。
結果は8位。
だが、その表情、口調には充実感があふれる。
「こういう年でオリンピックに出られたのは幸せ。
自分自身には金メダルを与えたい」。
順位を超えた何かをしっかりとつかんでいた。
あくまで「金」と公言し続けた“オオカミ中年"。
「一緒に金メダルを取りましょう」。
こんな魅力あふれる発言が多くの人を巻き込んでいく。
特性スパイクを製造したメーカー。
何度も長野に通った東海大陸上部の宮川千秋コーチ…。
そして、有言実行を果たせず、結果は裏切られたが、優しい「オオカミ中年」のうそは許される。
だれもが、苦労人、越の人がらを知っているからだ。
昨季、ワールドカップ(W杯)総合2位。
だが、今季は不振に悩んだ。
いつもの笑顔に隠した苦悩が、ふと漏れたことがある。
昨年12月のワールドカップ(W杯)第4戦で、非公式タイムながら後輩の若手に負けた。
帰国して東京駅へ向かう急行の中、売店で買ったクッキーを摘んでふとつぶやいた。
「寂しかったな…」。
体力の衰えは否定しきれなかった。
人生も苦労の連続だった。
1993年、スケルトンをはじめた時は無職。
だが、「スケルトンという競技を打ち込んでいる自分を認めてほしい」。
この熱い思いが、イエローページを開かせ、長野県の業績のいい企業から支援を得ようと、プロフィル入りのダイレクトメール130通送らせた。
1999年には所属先企業から支援を打ち切られ、雇用保険を受けながら競技を続けたことも…。
ここまで歩んだ道に悔いはない。
思いのすべてをぶつけ、五輪本番では、競技生活で最高のチャレンジができた。
あらゆる苦労を笑顔で乗り切り、はい上がってきた、男ならではの魅力が、周囲の人々を引きつける。
越のそんな大きな「うそ」にみんなが夢を見ることができた。
そんな挑戦でもあった。

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