02/24 11:57

日本が冬季五輪に初参加した第2回大会の1928年サンモリッツ大会で、距離陣も世界にデビューした。
続く32年レークプラシッド五輪では、栗谷川平五郎が男子長距離(18キロ)で12位に入ったが、それ以降、世界選手権を含めて距離陣の苦闘が続いた。
個人種目では10番台にも届かない。
ようやく78年世界選手権50キロで佐藤志郎が18位、87年世界選手権50キロでも結城谷行が18位に入った。
停滞を破ったのが佐々木一成で、89年世界選手権15キロフリーで7位と画期的な成績を挙げ、五輪、世界選手権を通じて個人初の1けた台になった。
女子の青木富美子がその勢いを引き継ぎ、94年リレハンメル五輪15キロフリーで11位となり、栗谷川の記録を塗り替えた。
青木は97年にはワールドカップで3度5位をマークし、男女を通じて主要国際大会での最高記録となった。
長野五輪では男子リレーが7位になり、72年札幌五輪女子リレーの9位を更新するともに、五輪初入賞を果たした。
今井はそのメンバーで、着実に力をつけつつあった日本距離陣の中心選手でもあった。

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