02/25 11:07

ミューレックは自由を求めて国を移り、ラズティナはチームからの干渉を嫌い1人で練習を積んできた。
ドーピング(薬物使用)違反で金メダルを失った男女のスキー距離選手には、強い個性があった。
1992年五輪から前回長野五輪まで3大会連続で、生まれ育ったドイツの代表として参加したミューレックだが、ドイツ・スキー連盟との確執でスペインに移住した。
だれにも関与されずに自由に強化できる環境が合い、99-2000年シーズンにワールドカップ(W杯)総合優勝を手にするなど急成長した。
ラズティナは90年代から距離女子界に君臨するロシアの中軸として活躍してきたが、代表監督とウマが合わず、チームから離れて強化を続けた。
財政支援を打ち切られたため、独自でスポンサーを探し、個人的なコーチを雇って強くなった。

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